日本テレビ系の「笑点」の大喜利メンバーに桂宮治(かつらみやじ)が新メンバーとして加入しました!
「桂宮治?どんな落語家さんなんだろう。どんな人生を送ってきた人なんだろう」
と気になった人は多いんじゃないかなと思います。
そんな桂宮治が勤めていた化粧品会社はどこなのか気になりますよね!
桂宮治は化粧品会社のセールスマンをしていたという異色の経歴を持った新進気鋭の落語家です。
セールスマン時代の実績を調べていくと、すごい実績を残していたことがわかりました!
また、現在ナレーターとして活躍中の山崎岳彦さんも、桂宮治さんと同じ化粧品会社に勤めていた事実もあったんです!
桂宮治の落語家になるまでの人生について詳しく知りたいあなたに
- 桂宮治が勤めた化粧品会社はどこか
- なぜ結婚式で落語家になることを宣言したのか
- 小学校時代登校拒否をしていた理由
についてお伝えしていきます!
Contents
桂宮治が勤めた化粧品会社はどこ?

桂宮治は落語家になる前、化粧品などの実演販売をする会社に勤めていました。
世間では化粧品会社勤務と言われていますが、実際には店頭で実演販売をするセールスマンだったんです。
桂宮治さんは、この当時実は、とんでもない業績を上げていたんです!
化粧品会社はどこ?
#笑点#大喜利 の新メンバーは桂宮治かあ。本命サイドで決まった感じかな。でも、トップセールスマンから落語家目指していたのは知らなかった…。二代目林家三平と違って、いい意味で肩の力が抜けた状態で加われそう。今はシンプルに楽しみ。
— junk-in-the-box (@junkinthebox4) January 1, 2022
正式に公表されていませんが、桂宮治が勤めていた化粧品会社は「株式会社ヒューマンスカイ」ではないかと推測されます。
株式会社ヒューマンスカイは登録型、社員型の「実演販売タレント」が店頭販売からTV通販まで商品の紹介をする実演販売士を全国各地に派遣する会社です。
副業として俳優やお笑い芸人、歌手の方も活躍されているようです。
こちらは桂宮治の化粧品販売をしていた頃のことが書かれています。
お決まりのような舞台役者のアルバイト生活。芝居をやるには金がかかる。1カ月に及ぶ稽古の間の生活費を工面しなくてはならない。そのためにレストランのホールやシロアリ駆除会社の営業マンなど必死で働いた。芝居の先輩から「役者やお笑い芸人もやっている仕事があるけどやってみないか」と紹介されたのが、ワゴンの化粧品販売の仕事だった。スーパーなどの通路にワゴンを置き話術を駆使して売る、いわば化粧品の実演販売だ。通りすぎる人の足を止めさせる。買わせられるという不安を拭いさり、無料配布の化粧品だけはもらいたいがあとは逃げだしたいという客の心理をつかみ、その場から一歩も逃さないため、息をつかせないほど畳みかける話術を天性で会得していった。この販売の様子をそのまま再現して織り込んだほろりと泣かせる新作落語「プレゼント」は、宮治落語の原点だ。かつてこの仕事を共にしていた現在テレビなどで活躍中のナレーター山崎岳彦(46)は、売り上げのトップを独走する宮治の販売をこっそりのぞいたことがあった。
引用元:AERA dot.
現在ナレーターとして活躍中の山崎岳彦さんは、桂宮治と同じ会社で実演販売の仕事をしていたことがわかります。
今夜放送
— NAOxxx (@NAOxxx_JUICY) June 5, 2020
『語落 -GORAKU-』
6月5日 25時30分~
以前一緒に仕事をしていた 落語家『桂宮治』が出演
そして なんとナレーションの『山崎岳彦』も 一緒に仕事をしていた仲間なのです
そんなお友達2人が出演&ナレーションする番組
凄いねぇ 2人が一緒に番組やるなんてhttps://t.co/gSkuvPrkSg
そして山崎岳彦さんは、株式会社ヒューマンスカイのHPにこのようなメッセージを載せています。
私は以前ヒューマンスカイで、実演販売のお仕事をさせて頂いておりました。
引用元:株式会社ヒューマンスカイ公式HP
ヒューマンスカイの実演販売のお仕事は、化粧品販売のプロである美容部員さんや、その店舗について精通している店員さんでも出すことが難しい、普段の日の3倍以上の売上を出すことが要求されるようなお仕事でした。いわば不可能を可能にしなくてはいけないお仕事です。不可能だと思われる目標を自分の技術や機転で達成し、お客様、クライアント様に喜んで頂いてきたという経験は、今の自分にも大きな自信になっています。
そしてあの経験と、得た技術は今の職業だけでなく、ほかのどんな業種でも活かされると思います。
みなさんも夢に向かって頑張ってください!
Let’s clean up together!
桂宮治は株式会社ヒューマンスカイに勤めていた可能性が高いです!
普段の3倍もの売り上げを要求される仕事、自分で試行錯誤しながら努力し、作り上げた技術は現在の落語家桂宮治としての大きな土台になっているのでしょう。
化粧品会社での実績
量販店などで化粧品を紹介する仕事を始めると、その化粧品が飛ぶように売れたそうです。
販売員時代は全国各地の百貨店やショッピングモールから指名が入り、全国を飛び回り売り上げが業界でも1~2位の成績をあげていました。すごい業績ですね!
桂宮治は「年収は一般的な20代サラリーマンの倍くらいあったんじゃないかな」
と語っています。
元々人をひきつけるトークセンスがずばぬけて素晴らしかったんでしょうね。
まさにカリスマセールスマンと呼んでも過言ではないと思います。
桂宮治は結婚式で落語家を目指すことを宣言!

桂宮治は、落語家になることを、なんと結婚披露宴という大勢がいる場所で宣言したんです!
結婚式披露宴には、桂宮治さんが勤めていた会社の社長も出席しており、それはもう驚かれたそうです。
桂宮治さんが、結婚式で落語家になることを宣言したのは、実はしっかりと理由がありました!
結婚式で宣言した理由は?
《第2回梅本演芸場 噺家さん紹介》
— 梅本演芸場 (@umemotoengei) July 28, 2018
桂宮治(かつら みやじ)
2008年桂伸治に入門 2012年二ツ目昇進
2012年「元犬」でNHK新人演芸大賞受賞
結婚と同時に営業マンを辞め噺家の世界へ入った異色の経歴の持ち主。愛妻家で子煩悩。 pic.twitter.com/QnbHX3qDd4
トップセールスマンで年収1000万もの収入があった桂宮治ですが、
購買意欲がない人にも化粧品を売るという仕事にだんだん疑問を感じてくるようになります。
セールスマンは立派な仕事だけど、これを一生の仕事にしていいのだろうかと悩み始めます。
そんな不安をすでに結婚を決めていた現在の奥さんに口にすると、
『お金はなんとかするから、やりたいことをすれば』
とセールスマンを辞めることを賛成してくれました。
その後落語と出会ったのは偶然でした。
たまたまネットで桂枝雀の「上燗屋(じょうかんや)」の高座を見て衝撃を受けました。「落語なら好きになれるかも」と感じた瞬間でした。
それから落語の道に進む決意後に結婚式があり、そこで「会社を辞め、落語家になる」とスピーチをしました。何も知らない化粧品会社の社長は椅子から転げ落ちるほど驚いたそうです。
なぜ結婚式で退職を宣言したのでしょう。
それは自分に踏ん切りをつけるため、自ら逃げ道を断つためでした。
落語家になってからの実績
ちょっとメンバーが豪華すぎる😅
— 桂宮治 (@miyajikatura) July 5, 2021
なんか、すみません(笑)
都内での披露興行はここが最後です!!
皆様のご来場心よりお待ちしております🎵
本日 7月5日(月)18:15
「桂宮治 真打昇進披露興行」
春風亭昇太,桂米助,三遊亭小遊三,柳家蝠丸,桂伸治
品川区・きゅりあん 大ホール pic.twitter.com/R4rZ5jfLGF
桂宮治は31歳で入門し、遅咲きながら、2021年2月に真打昇進を果たしています。
これは落語芸術協会の落語家としては、会長の春風亭昇太以来29年ぶりの5人抜きでの抜擢真打となります。
素晴らしい才能が開花しましたね!
桂宮治の学歴が異色!小学校を登校拒否していた理由とは?

桂宮治さんは、小学校を登校拒否していました。
その理由は、桂宮治さんの幼い頃から極度の人見知りで、人付き合いが人一倍苦手だったことが大きかったようです。
桂宮治の出身校(小学校・中学校・高校)
桂宮治の学歴はこちらです。
・品川区立小山小学校
東京品川区の小学校
児童数429人(2020年度現在)
・品川区立荏原第一中学校
東京都品川区の中学校
生徒数4560人 (2020年度現在)
2019年サッカー部が全国大会に出場
・東京学園高等学校(現在は閉校)
東京都目黒区の私立学校
出身の有名人 真島茂樹(ダンサー・振付師) 飯尾和樹(お笑い芸人(ずん)) 柳貴博(サッカー選手)
小学校を登校拒否!その理由とは?
実は小さい頃からの対人恐怖症で、小学校のときには不登校になり、親に児童相談所に連れていかれるほどの人見知りだったとのことです。
登校拒否の理由はなぜかというと、極度の人見知りだったんですね。
人と会うのが嫌で嫌でしょうがなかった子供だったなんて、現在の桂宮治からは到底信じられないようなことですね。
現在でも人付き合いは苦手とのこと。そんな桂宮治が大勢の人と関わる仕事をしてきたというのはなんだか不思議な感じがします。
人との縁や出会いで運命が変わってゆくっておもしろいですね。
桂宮治が勤めた化粧品会社はどこ?のまとめ
桂宮治が勤めていた会社は株式会社ヒューマンスカイの可能性が高いです。
その後落語家になろうという決断ができたのは、奥さんの後押しがあってのことだったんですね。
セールスマンの仕事に疑問を感じていたとはいえ、高収入を捨ててまで違う道に進んでいくのは、自分一人では踏ん切りをつけるのは相当難しかったんだと思います。
セールスマンも適職だったかもしれませんが、落語家はさらに29年ぶりに5人抜きでの抜擢真打になるほどの天職になりました。
化粧品会社でセールスの経験を積んだからこそ落語家として大きな華が開いたのではないかと思いました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!